
今回、京都大学大学院工学研究科 マイクロエンジニアリング専攻 准教授・廣谷潤先生にお話を伺う機会をいただきました。専門はナノ・マイクロスケールの熱伝導率計測。ナノメートル単位の熱を測る研究者が、なぜ自らを「熱のコンビニ」と称し、研究の枠を超えて事業化にまで踏み出しているのか――その答えを探しに、研究の背景から今後の展望まで語っていただきました。

1. 「熱」という、社会全体に関わる要素
廣谷先生の研究の出発点にあるのは、「熱は発電プラントから自動車のECU内のトランジスタに至るまで、キロメートルからナノメートルのスケールにわたって社会全般に関与する要素」という認識です。
日本は天然資源に乏しく、外貨で購入したエネルギーの多くが熱として無駄に捨てられているのが実情だといいます。データセンターの消費電力は2026年時点で日本全体の消費電力に匹敵する水準に達するとも予測されており、冷却に由来するCO2排出量も2030年までに日本の年間排出量に匹敵する規模になる可能性も示唆されています。加えて、半導体の微細化が進むにつれてチップの発熱密度は年々高まっており、熱マネジメントは半導体分野における大きな課題になっています。廣谷先生の研究は、こうした社会課題の解決を目指すものです。
2. 「近くて便利な、熱のコンビニエンスストア」
廣谷研究室の強みは、ナノメートルからメートルスケールまで、世界最高水準の空間分解能で熱を計測できる技術力にあります。中でも得意とするのが、周波数領域サーモリフレクタンス(FDTR)法による薄膜の熱伝導率計測です。FDTRは、物質表面の反射率が温度によってわずかに変化する現象を利用し、非接触でナノ・マイクロスケールの熱伝導率を測る手法です。世の中に存在する熱計測手法のほぼすべての技術・解析スキルを保有しており、産学連携の実績はすでに10社を超えるといいます。半導体や自動車分野だけでなく、スピントロニクスやバイオ分野からの解析依頼も舞い込んでいるほか、近年注目を集めるMXeneのようなナノ材料の熱物性評価にも取り組んでいます。
*参考:京都大学工学研究科ナノ・マイクロシステム工学研究室ホームページ内「周波数領域サーモリフレクタンス」
https://www.nms.me.kyoto-u.ac.jp/fdtrmethod/
こうした立ち位置を、廣谷先生は「近くて便利な、熱のコンビニエンスストア」と表現します。材料メーカーと製品メーカーの間に存在する「イノベーションギャップ」を埋め、材料の利活用から最終製品の開発までを橋渡しする存在を目指しているとのことです。
3. 排熱を「捨てる」から「使う」へ
近年、廣谷先生が力を入れているのが、熱の時系列的な変化を利用した新しいコンピューティング技術です。温度の時系列変化データを学習させることで、人・機械・装置の状態診断を極めて低い消費電力で実現するというもので、Raspberry Piのような小型計算機でも動作するエッジコンピューティングとしての活用を想定しています。
この技術のベースになっているのが「リザバーコンピューティング」と呼ばれる機械学習の枠組みです。複雑な物理現象が入力データを多様なパターンに変換する性質を利用し、学習する範囲を出力部分だけに絞ることで、通常の深層学習よりも大幅に少ない計算量で時系列データを扱えるのが特徴です。TRC(サーマルリザバーコンピューティング)は、このリザバーの役割を熱の拡散という物理現象に担わせる技術で、これまで捨てられていた排熱を、演算資源としてそのまま活用できる点に新しさがあります。

この技術が有望視される理由の一つが、温度センサの普及率の高さです。光センサや磁気センサ、加速度センサと比較しても、温度センサは圧倒的に出荷台数が多く、既存のセンサインフラをそのまま活用できるため、新しい技術でありながら市場参入のハードルが低い可能性があります。想定される応用先には、電気自動車のバッテリー診断や、産業用ロボットの関節部の状態診断などが挙がっています。この技術は、京セラとの共同研究によりセラミックデバイスへの組み込みが実証されるなど、着実に社会実装へと歩みを進めています。
*参考:京都大学 工学部・大学院工学研究科 最近の研究成果「京都大学×京セラ共同開発 セラミックデバイスを用いて熱を計算資源として活用する リザバーコンピューティングを実証」
https://www.t.kyoto-u.ac.jp/ja/research/topics/20251215
こうした一連の取り組みが評価され、廣谷研究室はSEMICON Japanが主催するアカデミアAwardにおいて、熱伝導率計測・熱制御製品開発をテーマとした発表で2024年に優秀賞を、翌年2025年には排熱を計算資源とするエッジコンピューティングの発表で最優秀賞を受賞しています
*参考:SEMICON Japan アカデミアAward 2025
https://www.semiconjapan.org/jp/workforce/academia-award-2025
4. 「日本一、そして世界一の熱の専門家」を目指して
その根底にあるのは、「日本は天然資源がない分、ものづくりで価値を生み出すべき国である」という信念です。国内メーカーの時価総額が金融機関を下回る現状に問題意識を持ちながら、自ら事業で結果を残す姿を見せることで、学生や若手エンジニアに希望を与えたいという教育的な思いも語ってくれました。工学部やエンジニアという進路が、収入や社会的評価の面でも魅力的なキャリアとして選ばれる日本の未来を、熱の分野から切り拓いていきたい――そんな大きな志を持って、研究と事業の両輪を走らせています。
5. レーザー光技術に期待すること
「レーザー科学や光学部品の世界は、地道な進化の積み重ねだと思っています」と廣谷先生は語ります。高周波化、安定性の向上、ビーム品質の改善、光学素子の性能向上――そうした一歩一歩の進化が積み重なってきたからこそ、熱計測技術も進化を続けてこられたという実感があるそうです。レーザーだけでなく、検出器やロックインアンプの進化も含めて、計測技術全体が三位一体で進化してきた歴史がある――そのすべての領域における、これからの地道な進化に期待を寄せています。
関連リンク
京都大学 工学研究科 マイクロエンジニアリング専攻ナノシステム創成工学講座ホームページ https://www.nms.me.kyoto-u.ac.jp/
※本記事は、2026年7月に実施した京都大学・廣谷潤准教授へのインタビューをもとに構成しています。研究成果・受賞歴等については、京都大学およびSEMIジャパンによる公式発表情報を参照しています。
インタビュー&文責:株式会社日本レーザー営業本部マーケティング部