
第8回の本コラムでご紹介するのは、日本大学生産工学部建築工学科で【レーザー技術の建築分野への応用を“施工・現場実装”まで見据えた研究開発】を行う、永井香織(ながい・かおり)教授(工学博士)です。
永井研究室で行う研究は、「今ある建物をいかに守り、安全に、美しく維持するか」という建築ストックの長寿命化と環境配慮に重きを置いた研究テーマ(難燃薬剤処理木質材料の性能に関する研究、超高層建築における大規模修繕工事に関する研究、石綿含有建築用仕上塗材の除去作業に関する研究、外壁の美観性に関する研究、歴史的建造物の補修工法に関する研究等)に加えて、レーザー技術による低騒音・低振動の低環境負荷施工技術に関する実装研究に重点を置いているのが特徴です。
今回は永井教授に以下のインタビューを行い、「レーザー技術の建築分野への適用に関する研究開発」を行なってきた背景から、最新の研究成果および今後の社会実装の展望を伺いました。

目次
― 永井教授が「レーザー技術を建築分野に適用する挑戦」に至った背景は何だったか教えて下さい。―
私がゼネコンの研究所にいた1990年代当時の建築現場は、「3K:きつい・汚い・危険」の象徴でした。特にコンクリートの「はつり(削り)」や「清掃」作業は、激しい騒音、振動、そして人体に有害な粉塵を伴う重労働です。 「この過酷な作業を、光(レーザー)に置き換えることができれば、作業環境を劇的に改善できるのではないか」という人間中心の視点が、最大の動機となりました。
当時、自動車や精密機器の工場ではレーザー光によるマーキング、切断、溶接は、既に「当たり前」の技術になっていました。しかし、建築現場は「一品生産」で現場環境が一定ではないため、レーザーの導入が極めて遅れていました。私は、「なぜ工場で出来ることが、建築現場では出来ないのか?」という疑問を持ち、製造業の高度な光学技術を、不均質で巨大な「建築材料」にアジャストさせる研究に着手しました。ここで行なった研究は、コンクリートや石材といった「無機材料」に対し、レーザーを用いて表面の性状(滑りやすさ、汚れの付きにくさ、付着性能など)を精密に制御する手法を研究していました。周囲がまだ『そんな高価な光(レーザー)で石を焼いてどうするのだ!』と半信半疑だった頃、同研究を推進した結果、1995年のレーザー学会論文奨励賞へと繋がり、現場でも認知が進みました。
また、日本の建築ストックが急速に老朽化していく現状がありました。
従来、建築物の修理箇所を物理的に叩いたり削ったりして修繕する手法では、建物へのダメージ(微細なひび割れ)が残り、結果として建物の寿命を縮めてしまう矛盾がありました。ここで、レーザーであれば、必要な部分だけを「非接触」でピンポイントに処理できるため、建物への負担を最小限に抑えつつ、長寿命化の修繕が行えると考え、レーザーによる、削り、穴あけ、切断等のレーザー加工の研究を行なって来ました。
― 今まで行なったレーザー施工法の代表的な研究&実装例を教えて下さい。
2010年頃の研究・実装例として、公共空間への安全性向上を目的に開発しました「レーザーノンスリップ工法」があります。
建築材料学の専門家として私が長年向き合ってきた課題の一つに、床材の「滑り」による転倒事故があります。開発当時の2010年頃の厚生労働省の統計によれば、滑りによる怪我人は毎年約850万人、死亡事故は3,500名以上にのぼる深刻な社会問題となっていました(2025年度の推計ではこの2〜3倍も増加しているという)。既存の防滑対策は「床材の貼り替え」か「既設床への後処理」に限られていました。しかし、環境負荷の低減が叫ばれる昨今、まだ使える床材を廃棄するのではなく、既存の資源を有効活用しつつ安全性を高めることは、建築ストック社会における急務でした。私は、新築時の美しい意匠性を一切損なうことなく、既存の床材に高い防滑性能を付加する工法の開発に着手し、誕生した技術が、世界初の「レーザーノンスリップ工法」です。この技術は、レーザー光を用いて石材表面を局所的に600℃以上へと瞬間加熱し、直後に瞬間冷却を行うことで、石材の組織を熱変化させ、微細な窪みを形成するものです。 本工法には、従来の物理的な削り出しや薬剤処理にはない、圧倒的な優位性が存在します。 第一に、表面に形成される窪みは50~200μm程度と極めて微細であるため、磨き石材特有の美しい風合いや意匠性を保ったまま施工が可能です(図1参照)。
.png)
第二に、防滑設計の自由度が高い点です。隣接する床材の状況に合わせ、東京都の指針である滑り抵抗値「C.S.R 0.4以上」を確実に確保し、希望のデザインに合わせた防滑効果を計画できる事です。
また本研究の真骨頂は、世界で初めてレーザーを用いた「可搬式レーザー加工機(写真2参照)」を開発し、実用化した点にあります。

建築現場、特に多くの人々が利用する駅舎や商業施設において、従来の施工は大きな障壁を抱えていました。 バーナー処理は激しい騒音と粉塵を伴い、薬剤処理は大量の水使用と長時間の養生を必要とします。しかし、私達の研究チームが開発したレーザー工法は「無振動・無騒音」であり、大掛かりな養生も不要です。加工直後から直ぐに歩行が可能なため、都市の機能を止めずに安全をアップデートすることを可能にしました。
本工法は、花崗岩、大理石、テラタイルといった多様な石材に適用され、その代表例が東京都内の駅コンコースへの適用でしたが、施工から3年が経過した時点でも、高い防滑性能が保持されていることが確認され、バーナー処理と同程度の高い耐久性能も実証されました。
レーザーノンスリップ工法は、最先端の光学技術を建築の「現場」にアジャストさせることで、安全・環境・意匠という、これまでトレードオフの関係にあった三要素を同時に解決した社会実装研究になりました。
次にご紹介したいのは、2022年に発表しました、建造物の解体・改修を劇的に高効率化するレーザー切断技術で、「ドリカット工法」と呼ばれる、わずか1kWという低出力のファイバーレーザーを用い、厚さ200mmもあるコンクリート壁やスラブなどの切断技術の実装研究です。
従来、建物の解体や改修時のコンクリート切断は、ワイヤーソーイング工法やウォールソーイング工法が一般的でしたが、施工時の騒音や振動の課題がありました。また、レーザーによる切断工法では、低騒音、低振動になる工法ではあるものの、厚いコンクリートを切断するには数十kWの巨大な設備が必要でした。これを微細な「孔(ドリル)」を連続して開けながら「切断(カット)」を進める独自工法の開発により、200mm厚のコンクリートをわずか1kWという低出力ファイバーレーザーで連続貫通&切断を可能にした結果、可搬型の小型ロボットに搭載可能なレーザー切断システムを開発出来ました(写真1参照)。尚、本成果は、株式会社カナモトと株式会社伊東商会との共同開発グループにより実施したものです。
更に、昨年2025年1月に発表しました、劣化したコンクリート構造物を補修する際、強固に付着したコンクリート(モルタル)等をパルスレーザーで精密に除去する鉄筋ケレン技術LSR工法(Laser Surface Refine工法)を開発しました。この技術は、レーザー照射パルス条件を最適化することで(図2参照)、付着したセメント質のみを脆弱化させ、母材を傷めずに新品同様の接着強度を取り戻すことができ、また従来の手作業によるケレン(錆落とし)に比べ、騒音・振動・粉塵を劇的にカットし、作業員の負担を大幅に軽減することが可能になりました。この技術を実際に鉄道高架橋における補修工事に適用し、安全性、周辺環境及び作業環境が大幅に向上することが確認できました。尚、本研究は、飛島建設株式会社、PCL株式会社、株式会社光響との共同開発で行ないました。

出典:レーザー学会(編)レーザーハンドブック(第2版),平成17年4月25日発行、35.4.6ウェーハ・電子部品などのマーキングhttps://www.symphotony.com/process/
―今後の研究開発計画を教えて下さい―
日本大学生産工学部では、レーザープラズマ先進応用リサーチセンター(CAAL)を2022年に開設し、レーザーおよびプラズマに関連する先端技術のニーズとシーズを有する教員が連携し,幅広い分野を網羅する研究テーマに取り組んでいます。このセンターでは、高出力レーザーを用いた新材料創成や極限環境下での計測・加工技術を研究しており、その実装先の一つとして「インフラ・建築改修、宇宙利用」を目指しております。
また、建築現場のDXとレーザーロボット施工技術の自動化研究も行い、建設業界の人手不足解消も目指しています。
― インタビューを終えて―
永井香織教授の研究者としての原点は、まだ「建築現場でレーザーを使う」という発想が一般的ではなかった時代、光のエネルギーが建築施工に革命をもたらす可能性をいち早く予見出来たこと。その後、ドイツ・フラウンホーファーレーザー技術研究所(ILT)での研鑽を経て、最先端のレーザー光学と建築材料学を融合。その視線は常に、騒音や粉塵、過酷な労働環境にさらされる「建築現場」という泥臭い現場を、いかにして光の技術で救う事ができるかという一点に注がれていた事です。
永井香織教授が貫く哲学は、「研究室で得られたデータは、それが社会に実装され、誰かの安全や環境を守る盾となって初めて『完成』する」というものです。この強い信念こそが、レーザーノンスリップ工法や、低出力でのコンクリート切断を実現したドリカット工法、そして最新の鉄筋再生技術であるLSR工法といった、数々の革新的な社会実装例を生み出す源泉となったと、インタビューを行い気付かされました。
これからも多くの学生や技術者を鼓舞し、私たちの社会をより安全で豊かなものに変えていくことを、心より期待して止みません。
インタビュー&文責:株式会社日本レーザー営業本部マーケティング部H&I